人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章V節A:奇跡を行う者への特別な指針

1. The miracle abolishes the need for lower-order concerns.

Since it is an out-of-pattern time interval, the ordinary considerations of time and space do not apply.

When you perform a miracle, I will arrange both time and space to adjust to it.

奇跡を行うとき、”lower-order concerns”、低次元の心配は必要でないと言っています。低次元の心配とは、外界(時間と空間の世界)に現れて見える問題です。イエスが時空間の調整をするので、内なる世界だけを改めればよい、知覚を修正すればよいと。内を整えれば外は自然に整うということは、こういうことなんですね。

2. A clear distinction between what is created and what is made is essential.

All forms of healing rest on this fundamental correction in level perception.

創造されたもの(本当にあるもの)と作り上げられたもの(本来存在しないもの)、この二つをはっきり区別することが癒しの基本です。

創造されたものとは拡張する真の創造で、作り上げられたものはマインドの投影する虚偽の創造です。前者が本物で、後者は幻想です。すべての癒しの根本は、これをはっきり理解することです。

3. Never confuse right- and wrong-mindedness.

Responding to any form of error with anything except a desire to heal is an expression of this confusion.

誤りは、誤ったマインドの状態から生じ、本来存在しないものです。だから、誤りがいかに攻撃的であったり、不快を感じさせることであっても、真実ではありません。だから、どんな誤りに対しても、怒ったり、イライラしたり、または、不安や恐怖の思いでなく、癒したいという気持ちで対応するのです。

4. The miracle is always a denial of this error and an affirmation of the truth.

Only right-mindedness can correct in a way that has any real effect.

Pragmatically, what has no real effect has no existence.

Its effect, then, is emptiness. Being without substantial content, it lends itself to projection.

奇跡を行う者は、いつも誤りを否認し、真実のみを肯定しなければなりません。実体のない誤りは、何ら真の影響を与えるものではありません。実体のないものは、創造ではなく投影に過ぎないから、本当には害を与えることもないのですね。

5. The level-adjustment power of the miracle induces the right perception for healing.

Until this has occurred healing cannot be understood.

Forgiveness is an empty gesture unless it entails correction.

Without this it is essentially judgmental, rather than healing.

許し(相手が悪いと見て許す)が大切であるとよく言われますが、「コース」では、「赦し」なのですね。知覚を修正して、相手の本当の姿を見なければ、「赦し」はあり得ません。

知覚を修正せず、「相手は悪いけど許してあげましょう」では、相手を一方的に裁いていることになり、許すと言って自分を持ち上げる虚しいジェスチャーに過ぎません。

6. Miracle-minded forgiveness is only correction.

It has no element of judgment at all.

The statement “Father forgive them for they know not what they do” in no way evaluates what they do.

It is an appeal to God to heal their minds.

There is no reference to the outcome of the error.

That does not matter.

奇跡を行う者は修正するだけです。何の批判もせず、誤りがどんな結果を引き起こしたかなどと誤りの度合いを評価する必要はありません。神に癒してくださいとお願いするだけです。

イエス自身の言葉が引用されていますが、誤りの結果を問題にしないことを示した手本です。でも、これはなかなかできることではありません。イエスの場合、その結果は十字架に架けられて死にいくことだったのですから。それでも、相手が赦されることだけを心配したというのですよね。

誤りは本来無い、そして、実在しないものは、こちらを脅かすことができないということを心の底から信じており、誤りの修正だけを気にかけていた。そこまで到達していれば、おそらく、自分の身に起こることへの恐怖などなかったのでしょうね。

7. The injunction “Be of one mind” is the statement for revelation-readiness.

My request “Do this in remembrance of me” is the appeal for cooperation from miracle workers.

The two statements are not in the same order of reality.

Only the latter involves an awareness of time, since to remember is to recall the past in the present.

Time is under my direction, but timelessness belongs to God.

In time we exist for and with each other. In timelessness we coexist with God.

聖書に出てくる「心を一つにせよ」と「わたしを偲んで、これを行いなさい」という2つの指示をつなげているところです。

奇跡を行う者は時空間の中で生きています。だから、一つのマインドになって神と合流することは最終目的ではあっても時空間の次元では考えていません。まず、兄弟のために、そして兄弟とともに生きながら、イエスが管理している時間の中で役目を果たすのです。

それは、知覚を修正し各々のマインドを癒すことです。こうして、すべてのマインドが癒されれば、やがてマインドは一つになります。この最終段階は時間を超越し、神の元に戻るという感じですね。

8. You can do much on behalf of your own healing and that of others if, in a situation calling for help, you think of it this way:

I am here only to be truly helpful.
I am here to represent Him Who sent me.
I do not have to worry about what to say or what to do, because He Who sent me will direct me.
I am content to be wherever He wishes, knowing He goes there with me.
I will be healed as I let Him teach me to heal.

奇跡を行う者が、”calling for help”の状況(奉仕を求められる状況)で、どうのように考えたらよいかというマインドセットが掲示されています。

何を言い何をするかということは、イエス(聖霊)に完全に任せ、また、どこへでも指示されるまま向かって安心しているマインドセットです。”truly helpful”は、外界における表面的な助けではなくて、知覚が修正され幻想に惑わされない状態、本当の意味で平安をもたらす助けです。

こうして、聖霊の指示のまま奉仕をしていれば、自分も癒されます。

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