人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章V節8:癒しが必要であることをはっきり認めたがらないのは

The fear of healing arises in the end from an unwillingness to accept unequivocally that healing is necessary.

What the physical eye sees is not corrective, nor can error be corrected by any device that can be seen physically.

As long as you believe in what your physical sight tells you, your attempts at correction will be misdirected.

The real vision is obscured, because you cannot endure to see your own defiled altar.

But since the altar has been defiled, your state becomes doubly dangerous unless it is perceived.

この段落では、癒しの恐怖について解説されています。

An unwillingness to accept unequivocally that healing is necessary.

癒しが必要であることをはっきり認めたがらない。自分自身に癒しが必要であるのを認めるのが恐くて、「癒しが必要なのはわたしではない、~だ」と、責任転嫁するような煮えきらない態度を指しています。

でも、肉眼で見るもの、外界のものは、”not corrective”です。修正(癒し)の対象ではありません。また、物理的な手段で修正されるような誤りでもありません。

癒しが必要なのは、肉眼で見えないもの、自分の内部です。なぜ、それを認めたがらないのでしょうか?

それを認めれば、自分に非があることになってしまう。祭壇の汚れを見たくないのです。神に振り向く神聖な祭壇を誤用して汚したことを認めたくありません。ある程度は自分にも修正が必要かもしれないけど、環境や周囲の人たちも修正しなければいけないと思っています。はっきり自分に癒しが必要なこと、自分のマインドを修正する必要があることを認めようとはしません。

これは “doubly dangerous” で、二重に危険なことだと言っていますね。マインドに癒しが必要であることを認めず、代わりに外界を修正しようとするというのは、本来癒されるべきところを癒さず、修正できないところを何とか変えようとする二重の危険です。

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