人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章VIII節5:いつでも有意義に自分が創造したものを評価できる

The term “Last Judgment” is frightening not only because it has been projected onto God, but also because of the association of “last” with death.

This is an outstanding example of upside-down perception.

If the meaning of the Last Judgment is objectively examined, it is quite apparent that it is really the doorway to life.

No one who lives in fear is really alive.

Your own last judgment cannot be directed toward yourself, because you are not your own creation.

You can, however, apply it meaningfully and at any time to everything you have made, and retain in your memory only what is creative and good.

This is what your right-mindedness cannot but dictate.

The purpose of time is solely to “give you time” to achieve this judgment.

It is your own perfect judgment of your own perfect creations.

When everything you retain is lovable, there is no reason for fear to remain with you.

This is your part in the Atonement.

「最後の審判」という言葉が恐怖を抱かせる理由が端的に説明されています。

まず、「審判」の部分を神に投影して、神が自分の行為を裁く裁判官だと思い込んでいることです。でも、「裁き」は、神の属性ではないとありましたね。それでも、神を裁く者と見るのは、投影しているからです。

次に、「最後」という言葉から、死を連想し、死後に起こることだと思っていることです。イエスに言わせると、 “an outstanding example of upside-down perception”なんですね。倒錯した知覚の中でも際立っていると。

こうした投影や倒錯した知覚といったベールを取り払い、客観的に見るなら、「最後の審判」は生命へ通じる道なのです。これは、マインドが断固として価値あるものとそうでないものを区別するレベルに達したときで、そのとき初めて自由と幽閉の間をフラフラしなくて済むようになるからです。まさにこのとき、生命を完全に生きる道への扉が開いたのです。

「最後の審判」は、自分の誤創造への信念を放ち、恐怖から解放されることです。だから、”the doorway to life”なのです。

わたしたちは自分を創造したわけではないので、自分を裁くことはできません。

Your own last judgment cannot be directed toward yourself, because you are not your own creation.

でも、自分が創造あるいは誤創造したものを評価することはできます。、”meaningfully and at any time”に。「有意義にいつでも」ということですが、誤創造を価値がないものと判断し、真の価値ある創造だけを保持するように区別するなら、恐怖から解放されるのです。有意義ですね。そして、いつでも、今すぐにでも、自分でできるのです。

マインドが正しい状態であれば、創造的でよいものだけを選択する他はないと。時間は、一重にこの選択をするために与えられたものだと言っています。死よりも生命を、恐れよりも愛を選択するためだけに時間があるのです。

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