人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章VIII節3:最後の審判の目的は正しいマインドに回復させること

The Last Judgment is generally thought of as a procedure undertaken by God.

Actually it will be undertaken by my brothers with my help.

It is a final healing rather than a meting out of punishment, however much you may think that punishment is deserved.

Punishment is a concept totally opposed to right-mindedness, and the aim of the Last Judgment is to restore right-mindedness to you.

The Last Judgment might be called a process of right evaluation.

It simply means that everyone will finally come to understand what is worthy and what is not.

After this, the ability to choose can be directed rationally.

Until this distinction is made, however, the vacillations between free and imprisoned will cannot but continue.

ここでは、「最後の審判」における一般の理解とは違う「コース」の解釈がなされています。

教会では「最後の審判」は神による裁きのように説くようですが、「コース」では、イエスの援助でわたしたちが行うことなのです。神による裁きではなく、わたしたちが自分の創造を評価することです。”a process of right evaluation”で、 価値があるもとのそうでないものを区別します。

「最後の審判」の目的は、悪い行為を罰するのではなく、マインドを正しい状態に回復することです。

価値がないものは、自分を幽閉するような考えです。罪や恐怖の観念です。これを認識して、自分のマインドをそうした観念から解放するのが「最後の審判」なのですね。誰もが最終的にそこにたどり着くとあります。

Everyone will finally come to understand what is worthy and what it not.

自分のマインドを観察し、価値がないものを取り除いていくプロセス。その頂点にあるのが「最後の審判」なのでしょう。こうして、価値のない罪や恐怖でマインドが眩まされなくなると、自ずと理性的な選択ができるようになるのです。もはや、自分で自分を牢獄につなぐことがないのです。

しかし、そうなるまでは、自由と幽閉の間を行きつ戻りつするのは避けられないというのが最後の文です。

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