人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章VIII節1:「最後の審判」は実在と非実在を区別する

One of the ways in which you can correct the magic-miracle confusion is to remember that you did not create yourself.

You are apt to forget this when you become egocentric, and this puts you in a position where a belief in magic is virtually inevitable.

“magic-miracle confusion”、つまり魔術と奇跡の混同は、これまで説明されたさまざまな混同を一言で言い表したものです。マインドが起こした病気を肉体のレベルで修正することができるとするレベルの混同(第2章IV節)や奇跡の衝動を肉体の衝動と混同すること(第1章VII節)が挙げられます。薬や何か外部のものに癒す力があり、それで病気が癒されたするのが魔術と奇跡を混同している一例です。

原理14で、創造的でないマインドの使い方が魔術であると定義されています。

第2文で、わたしたちが自我中心になるとき、魔術を信じるようになるのは避けられないという意味のことが述べられていますが、どういうことでしょうか? ”egocentric”はエゴを中心とする観点で、第2章I節(分離の起源)で示された神を離れて、神の創造を変えることができると信じる状態のことを指しているのでしょう。

こうして”egocentric”になると、神の創造を変えたとする幻想を見て欠乏を感じ、何か別のところにこれを埋めるものがあると信じざるを得ません。 だから、”you did not create yourself”を思い出すようにと言っているのです。自分で自分を創造したのではない、神が創造するものだけが真実であることを思い出せば、魔術には 本当に変える力がないことが分かるのです。

Your will to create was given you by your Creator, Who was expressing the same Will in His creation.

Since creative ability rests in the mind, everything you create is necessarily a matter of will.

It also follows that whatever you alone make is real in your own sight, though not in the Mind of God.

This basic distinction leads directly into the real meaning of the Last Judgment.

第3文は、わたしたちは、神と同じように創造者となるべく創造されたという意味です。マインドだけが創造する力を持つので、わたしたちが創造するものはすべて”a matter of will”です。何を意図するかということにかかっています。わたしたちの選択です。

次の文で”alone”とあるのは、神から離れて作る場合を指しているのですね。この場合、神のマインドには実在しませんが、わたしたちには実在としてあるように見えます。神とともに創造するものだけが実在するのです。

だから、わたしたちが創造したものが実在するもの(神とともに創造したもの)か、それとも実在しないものか(神から離れて作ったもの)を区別することが、「最後の審判」になるのです。

 

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