人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章VI節5:恐怖はやりたい事と行動に不一致がある表れ

Fear is always a sign of strain, arising whenever what you want conflicts with what you do.

This situation arises in two ways:

First, you can choose to do conflicting things, either simultaneously or successively.

This produces conflicted behavior, which is intolerable to you because the part of the mind that wants to do something else is outraged.

Second, you can behave as you think you should, but without entirely wanting to do so.

This produces consistent behavior, but entails great strain.

In both cases, the mind and the behavior are out of accord, resulting in a situation in which you are doing what you do not wholly want to do.

This arouses a sense of coercion that usually produces rage, and projection is likely to follow.

Whenever there is fear, it is because you have not made up your mind.

Your mind is therefore split, and your behavior inevitably becomes erratic.

Correcting at the behavioral level can shift the error from the first to the second type, but will not obliterate the fear.

第一文で、恐怖は精神的緊張の表れであると言っています。自分のやりたい事と実際にやる事との間に不一致があるとき、緊張が起こり恐怖するのです。

前段落で、選択がイエスのそれと調和しているかどうか尋ねなさいとありましたね。神から離れて(分離)、神の意志と一致しなくなると、このような緊張をうみ、恐怖を感じるようになるのです。

この過程には二つのタイプがあると説明されています。

第1のタイプは、相反することを同時にまたは順次にする。

第2のタイプは、本当はしたくないのに、やらなければいけないと思ってする。

どちらも、自分の中で葛藤が生まれ苦しむわけですが、結局、神の意志とエゴの意志が相入れないのでこういう状態に陥るのです。

第1のタイプでは、神の意志とエゴの意志の両方に従います。第2のタイプでは、マインドを変えないで、片方に従う。多分に、神を恐れるあまり、マインドの修正をしないまま、やるべきだと思っていることをするのですね。

だからマインドを定めなければなりません。

Whenever there is fear, it is because you have not made up your mind.

分離したエゴの意志を助長させる限り、葛藤はなくならず、したがって恐怖から解放されることがありません。

ここでも、行動よりもマインドを修正しなければならないことが説かれています。マインドを修正せずに行動だけ神の意志だと思うことをしても、第2のタイプになるだけです。マインドの修正は導いてもらい(贖罪)、マインドと行動が一致するようになれば、精神的緊張がなくなるのですね。

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