人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章VI節1:重要なことの指示に従えば行為は付いてくる

Being afraid seems to be involuntary; something beyond your own control.

Yet I have said already that only constructive acts should be involuntary.

ここの”constructive acts”とは一体何を指しているのでしょうか?

第1章I節原理5の”Miracles are habits, and should be involuntary”を見てください。どうも”constructive acts”は、「奇跡」を指しているようですね。

“constructive”は、第2章V節5に出てきます。“By denying your mind any destructive potential and reinstating its purely constructive powers, you place yourself in a position to undo the level confusion of others.”のところです。マインドの純粋に「建設的な」力です。

マインドの純粋に建設的な力を回復させれば、「奇跡」が意識せずに為されるはずなんですね。ということは、わたしたちの責任管轄下にはないということです。

My control can take over everything that does not matter, while my guidance can direct everything that does, if you so choose.

わたしたちが選択するなら、重要でないことをすべて引き受けることができると言っていますが、「重要でないこと」とは何を指しているのでしょうか? わたしたちの責任管轄下にない「行為」です。無意識に為されるべきことですから。

つまり、イエスに重要なことの指導を任せるなら、行為は心配しなくてもよいということです。重要なことはマインドですが、どういう思考をするかということです。

Fear cannot be controlled by me, but it can be self-controlled.

Fear prevents me from giving you my control.

The presence of fear shows that you have raised body thoughts to the level of the mind.

This removes them from my control, and makes you feel personally responsible for them.

This is an obvious confusion of levels.

第一文で、恐れは無意識に起こるように見える、だから、自分でコントロールできないように感じられるとありましたね。でも、ここで、恐れは”can be self-controlled”であると言っています。

恐れをコントロールするにはどうすればよいのでしょうか? コントロールできないように思えますよね。次の文にヒントがあるようです。

“The presence of fear shows that you have raised body thoughts to the level of the mind.”

“body thoughts”を”the level of the mind”に引き上げないようにすれば、恐れが起こらないようですが。

第2章IV節2で、創造のレベルはマインドだけなのに、肉体がマインドから独立して創造できるという根本的な誤りを犯していることが述べられていました。だから「肉体の思いをマインドのレベルまで引き上げる」というのは、マインドにだけ属する力を肉体にあるとする過ちであることが分かります。レベルの混同です。

マインドだけが創造できることに気づけば、恐れは起こらないのです。

恐れがあると、イエスがわたしたちをコントロールできないと述べています。そして、”This removes them from my control”とあります。ここの”them”は、その前の文の中にある”body thoughts”を指していますが、 イエスが引き受けるのはわたしたちの「行為」なので、肉体の行動と考えることができます。肉体は創造する力がないからマインドのように考える力はないはずなのですが、誤って肉体にその力を与えた(信念)という経緯を一言で”body thoughts”と表現しているのです。

本来、肉体の行動は、わたしたちの個人的な責任ではないというのは驚きです。行為は、イエス(聖霊)にコントロールされて、無意識のうちに為されるべきものだから。

わたしたちは、肉体に独立して創造する力があると思い込むため、肉体の為すことに責任があるように思ってしまいます。肉体をコントロールしなければという恐怖におののきます。そして、恐怖があると、聖霊はわたしたちの行為をコントロールすることはできません。

だから、聖霊に考え方を指示してもらい、それに従えば、奇跡の行為は自然に導かれ、恐怖も起こりません。

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