人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章II節1:恐れは神に属さないからわたしを害する力はない

You can do anything I ask.

I have asked you to perform miracles, and have made it clear that miracles are natural, corrective, healing and universal.

There is nothing they cannot do, but they cannot be performed in the spirit of doubt or fear.

イエスは、わたしたちに出来ることしか頼まないということですね。奇跡を実践しなさいと言うとき、わたしたちに出来ると確信しているからです。ここの”natural”は、奇跡がわたしたちの本質に合致しているという意味で自然だということです。だから、自分でブロックしない限り出来るはずなんです。

When you are afraid of anything, you are acknowledging its power to hurt you. Remember that where your heart is, there is your treasure also.

You believe in what you value.

If you are afraid you will inevitably value wrongly, and by endowing all thoughts with equal power will inevitably destroy peace.

That is why the Bible speaks of “the peace of God which passeth understanding.”

This peace is totally incapable of being shaken by errors of any kind. It denies the ability of anything not of God to affect you.

This is the proper use of denial.

It is not used to hide anything, but to correct error.

It brings all error into the light, and since error and darkness are the same, it corrects error automatically.

何かを恐れるのは、それが自分を傷つける力があると認めているからです。そうすると、その何かに力を与え、ブロックが形成されます。本当は、わたしたちが力を与えない限り、何ものもわたしたちを傷つける力はありません。

“Where your heart is, there is your treasure also” は聖書からの引用ですが、聖書では、“Where your treasure is, there will your heart be also”と前後が逆です。(心があるところ)=(宝があるところ)という式にしてみると、順序は関係ないみたいですね。

“treasure” は宝で価値を表しているので、心があるところに価値を与えるという意味でしょう。心があるところとは、注意を向けているところ、思考の対象です。

恐れるとき、その思考に価値を与えてしまいます。神から来る価値と同等の力を与えて、心の平安が崩されます。しかし、実際は、神でないものから発するものには何も価値がないので、わたしたちを害することはできないはずです。

“the peace of God which passeth understanding” も聖書からの引用で、神の平安は理解を越えているという意味です。恐れに捉われているとき、神の平安はわたしたちの理解を通り越します。”passeth”は、古い英語で、三人称単数で”s”が付く代わりに”eth”が付いています。

本質的には神の平安を理解できるのですが、恐れや疑いを引き起こすエゴの思考に価値を与えるとき、一時的に神の平安が分からなくなり、心の平安が崩れます。このとき、神の平安を思い出す方法が”denial”です。“the ability of anything not of God to affect you”を否認することです。神に属さないものがわたしに影響を与える力はないと否認するのです。

この否認は、何も隠したりごまかしたりしません。それどころか、誤りを光の中に持ってきて修正します。誤りの存在を否定するのではなく、誤りが自分を傷つける力があることを否定します。これが、正しい否認の方法です。恐れや疑いという誤りを明るみに持ってきて、これは神に属さないから何の影響力も持たないと正すのです。

恐れという暗闇を明るみに持ってくれば、消滅するしかありません。また、自分にはこんな恐れがあります、それを手放しますと神に差し出す気持ちになると落になるのも、明るみに持ってきた結果だと思います。

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