人生はいつでも変えられる!
2分離と贖罪

第2章VII節5:無とすべてが共に存在することはできない

Nothing and everything cannot coexist.

To believe in one is to deny the other.

Fear is really nothing and love is everything.

Whenever light enters darkness, the darkness is abolished.

What you believe is true for you.

In this sense the separation has occurred, and to deny it is merely to use denial inappropriately.

However, to concentrate on error is only a further error.

前節の続きで、恐怖は本来存在しないもので、実在するのは愛だけであることが説かれています。暗闇に光をともせば暗闇は消滅するといのは、愛を認めれば恐怖は消滅するということです。愛と恐怖のあいだに葛藤はありません。”Nothing and everything cannot coexist”で、共存することができないからです。恐怖は無(nothing)であり、愛がすべて(everything)です。

そうは言っても、恐怖を信じているわたしたちには、現実として感じられます。分離が起きたと感じられるのです。それは誤り(幻想)に過ぎないのですが、ただ無視すればよいという訳にはいきません。かといって、 何とかこれを克服しようと誤りに焦点を当てれば、誤りが助長されてしまいます。

The initial corrective procedure is to recognize temporarily that there is a problem, but only as an indication that immediate correction is needed.

This establishes a state of mind in which the Atonement can be accepted without delay.

It should be emphasized, however, that ultimately no compromise is possible between everything and nothing.

Time is essentially a device by which all compromise in this respect can be given up.

It only seems to be abolished by degrees, because time itself involves intervals that do not exist.

Miscreation made this necessary as a corrective device.

ではどうすればよいかということが次に説明されています。最初のステップは、問題があるのを認めること。恐怖があると思い、分離が起きたと信じている誤りですね。ただ、これは “temporarily”で、いつまでもこのステップに留まっているべきではありません。 あくまでも、問題は、すぐにでも修正する必要がある兆しと見るのです。そうして、ぐずぐずせず、”without delay”で贖罪を受け入れる必要があります。こうして、マインドの誤創造は無に帰し、わたしたちは平和な状態に戻ります。でも、また新たな恐怖が起こります。

そして、恐怖を感じるたびにそれを認め、贖罪を受け入れるという繰り返しが永遠に続くのでしょうか?

Ultimately no compromise is possible between everything and nothing.

最終的に、すべてと無の間で譲歩は不可能であると言っています。これは、最初の文に戻りますが、無とすべてが共存することができないということと同じですね。

少しずつ(by degrees)、長い時間の隔たりをかけて、無への信念を手放すように見えます。譲歩です。時間という修正のデバイスによって、誤創造という誤りを手放すのに譲歩を許しているのです。しかし、最終的に、わたしたちは、譲歩をまったく必要しなくなるときが来ます。

The statement “For God so loved the world that He gave His only begotten Son, that whosoever believeth in Him should not perish but have everlasting life” needs only one slight correction to be meaningful in this context; “He gave it to His only begotten Son.”

この最後の部分は、ちょっと分かりにくいところです。「神はそのひとり子をお与えになるほど、この世を愛された。それは神を信じる人々がみな亡びることなく、永遠の命を受けるためである」という聖書にある文に一つ修正を加えればよいとあります。ここでイエスが指摘した修正というのは、 “He gave it to His only begotten Son.”です。

思うに、この”it to”が抜けているために、教会の一般的な解釈はとんでもないことになっていますよね。まるで、わたしたちの罪の身代わりにするためにイエスを遣わされたみたいな。”it”は「the world」を指しています。”His only begotten Son”も次の段落の説明から、神の子全員を一つに捉えていることが分かります。

ということで、聖書の部分の訂正訳は「神はこの世界を愛されたので、神の子にお与えになった」となり納得しやすくなったのですが、まだよく理解できていません。

 

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