人生はいつでも変えられる!
4エゴの幻想

第4章I節 序文

I. Introduction

The Bible says that you should go with a brother twice as far as he asks. It certainly does not suggest that you set him back on his journey. Devotion to a brother cannot set you back either. It can lead only to mutual progress.

The result of genuine devotion is inspiration, a word which properly understood is the opposite of fatigue. To be fatigued is to be dis-spirited, but to be inspired is to be in the spirit.

To be egocentric is to be dis-spirited, but to be self-centered in the right sense is to be inspired or in spirit. The truly inspired are enlightened and cannot abide in darkness.

聖書には、兄弟が頼んだ距離の2倍を彼と共に行かなくてはならないとあります。もちろん、兄弟の旅を遅らせよと示唆しているのではありません。また、兄弟へ献身することで、あなたが遅れることもあり得ません。ただ、相互に進歩するように導かれるだけです。

真の献身の結果はインスピレーションです。正しく解釈するならば、インスピレーションは疲労の反対です。疲労させるとはスピリットで満たされないということですが、霊感を与えられるのは、スピリットに満たされているということです1

利己的であるのはスピリットで満たされないことですが、正しい意味で自己中心であるのは、霊感を与えられる、つまりスピリットにあるということです。真に霊感を与えられた者は光を受けて、暗闇にとどまることはできません2

‘spirit’は動詞の場合、‘to infuse with spirit’の意味があります。「スピリットで満たされる」ということです。‘dis-spirited’は、‘spirited’の反対の動作、つまり「スピリット満たされない」です。‘inspire’は「吸い込む、霊感を与える」という意味があります。「コース」では、スピリットは聖霊のことです。

2:  ‘enlightened’は通常「洞察を与える、啓蒙する」という意味で使われますが、ここでは、単純に「光を受ける」にしました。

 

You can speak from the spirit or from the ego, as you choose.

If you speak from spirit you have chosen to “Be still and know that I am God.” These words are inspired because they reflect knowledge. If you speak from the ego you are disclaiming knowledge instead of affirming it, and are thus dis-spiriting yourself.

Do not embark on useless journeys, because they are indeed in vain. The ego may desire them, but spirit cannot embark on them because it is forever unwilling to depart from its Foundation.

あなたは、スピリットを通して話すこともエゴを通して話すことも好きなようにできます。

スピリットを通して話すなら、「静まりなさい、そしてわたしが神であることを知りなさい」という招きに応じたのです。この言葉は、知識を反映しているので霊感を受けています。エゴを通して話すなら、知識を肯定する代わりに否認し、こうして自分をスピリットから離します。

無益な旅を始めないようになさい。まったく虚しいだけです。エゴはそれを望むかもしれませんが、スピリットは、そんな旅に出ることはできません。スピリットは、永遠に自分の土台から離れるに忍びないからです3

3: ‘Foundation’は大文字で始まっているので、神の創造を指しています。

 

The journey to the cross should be the last “useless journey.” Do not dwell upon it, but dismiss it as accomplished.

If you can accept it as your own last useless journey, you are also free to join my resurrection. Until you do so your life is indeed wasted. It merely re-enacts the separation, the loss of power, the futile attempts of the ego at reparation, and finally the crucifixion of the body, or death.

Such repetitions are endless until they are voluntarily given up. Do not make the pathetic error of “clinging to the old rugged cross.” The only message of the crucifixion is that you can overcome the cross. Until then you are free to crucify yourself as often as you choose.

This is not the Gospel I intended to offer you. We have another journey to undertake, and if you will read these lessons carefully they will help prepare you to undertake it.

十字架への旅は最後の「無益な旅」になって然るべきです。それにいつまでもこだわらないで、達成したとして放しなさい。

それをあなたの最後の無益な旅として受け入れることができるなら、あなたもわたしの復活に自由に加わることができます。それまでは、確かに人生を無駄に生きるでしょう。分離や力の喪失、エゴの償おうとする無駄な試み、あげくの果ては肉体を十字架にかけて死に至らしめるということを再上演するだけです。

このような繰り返しは自発的に放棄しない限りいつまでも続きます。「その古い頑丈な十字架にしがみつく」という救いようのない過ちをしないでください。はりつけが伝える唯一のメッセージは、あなたにはそれを克服できるということです。これが分かるまでは、何度でも好きなだけ自分を十字架にかけるのは自由です。

こんなことが、あなたに与えようとした福音ではありません。わたしたちには他に取りかかる旅があります。そして、あなたがこれらのレッスンを注意深く読むなら、これから出発する旅の準備に役立つでしょう。

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