人生はいつでも変えられる!
3純真無垢な知覚

第3章IV節 誤りとエゴ

IV. Error and the Ego

The abilities you now possess are only shadows of your real strength. All of your present functions are divided and open to question and doubt. This is because you are not certain how you will use them, and are therefore incapable of knowledge. You are also incapable of knowledge because you can still perceive lovelessly.

Perception did not exist until the separation introduced degrees, aspects and intervals. Spirit has no levels, and all conflict arises from the concept of levels. Only the Levels of the Trinity are capable of Unity. The levels created by the separation cannot but conflict. This is because they are meaningless to each other.

あなたが今所有する能力は、あなたの真の強さの不完全な写しに過ぎません。あなたの現在のあらゆる機能は分裂して疑問や疑いにさらされています。これは、あなたが自分の能力をどのように使えばよいか確信できず、そのせいで、知識に到達できないからです。また、依然として愛に欠けるような知覚をすることができることも、知識に到達できない理由です。

知覚は、分離によって度合いや解釈、隔たりが導入されるまで存在しませんでした。スピリットにはレベルがありません。そして、あらゆる葛藤はレベルの概念から生まれます。三位一体のレベルだけが統一を可能にします。分離によってもたらされた数々のレベルは、葛藤しないではいられません。これは、レベルが互いにとって意味をなさないからです。

 

Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator. Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.

The ego is a wrong-minded attempt to perceive yourself as you wish to be, rather than as you are. Yet you can know yourself only as you are, because that is all you can be sure of. Everything else is open to question.

意識、すなわち、知覚のレベルは、分離の後にマインドに取り込まれた最初の分裂で、マインドを創造するものでなく、知覚するものにしました。意識は、正しく、エゴの領域と見なされます1

エゴは、誤った状態のマインドがする試みで、あなた自身をありのままに見ないで、自分が望むように知覚しようとします2それでも、あなたは、ありのままの自分としてだけしか自分を知ることができません。なぜなら、それがあなたが確信できるすべてだからです。その他はいずれも、疑問が入りやすいのです。

1:  意識は知覚のレベルであり、エゴの領域です。分離のときに、マインドは知覚するようになり、意識を生んだのです。

2:  自分をありのままではなく、自分が望むように見るために知覚が必要になったことが分かります。

 

The ego is the questioning aspect of the post-separation self, which was made rather than created. It is capable of asking questions but not of perceiving meaningful answers, because these would involve knowledge and cannot be perceived.

The mind is therefore confused, because only One-mindedness can be without confusion. A separated or divided mind must be confused. It is necessarily uncertain about what it is. It has to be in conflict because it is out of accord with itself.This makes its aspects strangers to each other, and this is the essence of the fear-prone condition, in which attack is always possible.

You have every reason to feel afraid as you perceive yourself. This is why you cannot escape from fear until you realize that you did not and could not create yourself. You can never make your misperceptions true, and your creation is beyond your own error. That is why you must eventually choose to heal the separation.

エゴは分離後の自己の疑問を持つ局面です。この自己は、創造されたもののではなく作られたものです1疑問を投げかけることはできますが、意味のある答えを知覚することはできません。というのも、意味のある答えには決まって知識が伴いますが、それを知覚することはできないからです。

そのためにマインドは混乱しています。一つのマインドだけが、混乱しないでいられるからです。分離し分割されたマインドは混乱せざるを得ません。必然的に自分が何者かについて確信が持てません。自身と調和していないため、葛藤に陥らざるをえません。これにより、各々の自身の局面は見知らぬ者同士となります2これが恐れがちな状態の本質であり、いつも攻撃の可能性を抱えるのです。

あなたが自分自身を知覚するのに恐れを感じるのはもっともなことです。だから、あなたが自分自身を創造したのではないし、創造することもできないと悟るまで、恐れから脱出できないのです3あなたは自分の誤った知覚を真実にすることは到底できません。また、あなたの創造はあなた自身の誤りを超越しています。だから、あなたは、いずれ分離を癒すことを選択しなければなりません。

1:  “which was made rather than created”‘which’は、“the post-separation self”に係っています。分離後の自己は作られたもので創造されたものではありません。偽者の自分、あるいは小さなセルフですね。だから、その局面であるエゴには、本当の自分を知ることはできないのです。

2:  顕在意識と潜在意識の思っていることが違うというのも、自分の中に葛藤がある例ですね。

3:  自身の中の葛藤を感じ、さらにそれが本当の自分だと勝手に偽の自分を作りあげるから、恐れるのです。この恐れを解消するには、自分を創造したのは、自分でないと気づくことです。神が創造したものを変えることはできません。

 

Right-mindedness is not to be confused with the knowing mind, because it is applicable only to right perception. You can be right-minded or wrong-minded, and even this is subject to degrees, clearly demonstrating that knowledge is not involved.

The term “right-mindedness” is properly used as the correction for “wrong-mindedness,” and applies to the state of mind that induces accurate perception. It is miracle-minded because it heals misperception, and this is indeed a miracle in view of how you perceive yourself.

正しいマインドと知るマインドを混同してはなりません1なぜなら、正しいマインドが適用されるのは、正しい知覚だけだからです。あなたは、正しいマインドでいることも誤ったマインドでいることもできますが、そもそもこれが度合いに左右されるということ自体、知識に関わりがないないことの確かな証明です。

「マインドの正しい状態」という言葉は、「マインドの誤った状態」の修正として使われるのが適切で、正確な知覚を誘導するマインドの状態を指しています。それは誤った知覚を癒すので奇跡を志向するマインドです2あなたが自分自身をどのように知覚するかを考えればまさに奇跡なのです。

1:  本段落のポイントです。正しいマインドは知識ではありません。

2:  終局的には知るマインドに到達することが目標ですが、その前に、誤った知覚を癒すために正しいマインドになることが必要です。それが「コース」の目的です。

 

Perception always involves some misuse of mind, because it brings the mind into areas of uncertainty.

The mind is very active. When it chooses to be separated it chooses to perceive. Until then it wills only to know. Afterwards it can only choose ambiguously, and the only way out of ambiguity is clear perception.The mind returns to its proper function only when it wills to know. This places it in the service of spirit, where perception is changed.

The mind chooses to divide itself when it chooses to make its own levels. But it could not entirely separate itself from spirit, because it is from spirit that it derives its whole power to make or create. Even in miscreation the mind is affirming its Source, or it would merely cease to be. This is impossible, because the mind belongs to spirit which God created and which is therefore eternal.

知覚には、ある程度のマインドの誤用を伴うのが常です。それは、マインドを不確実な領域に引き込むからです。

マインドは極めて活動的です。マインドは、分離を選択するとき、知覚を選択します。それまでは、ただ知ろうとするだけです。分離の後では、あいまいな選択しかできず、そこから抜け出すには明確に知覚するしかありません1マインドは知ろうとするときだけ、その適切な機能に戻ります。このとき、マインドはスピリットに仕えることになり、知覚が変化します2

マインドは、独自のレベルを作ろうとするとき、自らの分割を選択することになります。けれども、スピリットから完全に分離できるはずがありません。それは、作ったり創造したりする全てを含むパワーをマインドはスピリットから引き出すからです。誤った創造をするときにさえも、マインドは自分の大いなる源を認めています。そうでなければ、停止してしまうしかないでしょう。これが不可能なのは、マインドがスピリットに属しているからで、スピリットは神が創造し、ゆえに不滅の存在です。

1:  “choose ambiguously”は、その前の“choose to perceive”を別の言い方で繰り替えしているのです。つまり、あいまいな選択とは知覚のことです。そこから抜け出すには知覚を正すしかありません。

2:  知ろうと意図するとき、マインドはスピリットに仕えるというのは、スピリットに主導権を引き渡すことです。このとき、“perception is changed”ですが、urtextでは“perception is meaningless”になっています。つまり、スピリットに任せるとき、知覚は意味を失ってしまうのです。

 

The ability to perceive made the body possible, because you must perceive something and with something. That is why perception involves an exchange or translation, which knowledge does not need. The interpretative function of perception, a distorted form of creation, then permits you to interpret the body as yourself in an attempt to escape from the conflict you have induced.

Spirit, which knows, could not be reconciled with this loss of power, because it is incapable of darkness. This makes spirit almost inaccessible to the mind and entirely inaccessible to the body. Thereafter, spirit is perceived as a threat, because light abolishes darkness merely by showing you it is not there.

Truth will always overcome error in this way. This cannot be an active process of correction because, as I have already emphasized, knowledge does not do anything. It can be perceived as an attacker, but it cannot attack. What you perceive as its attack is your own vague recognition that knowledge can always be remembered, never having been destroyed.

知覚の能力が肉体の存在を可能にしました。あなたは、(自分以外の)何かを知覚するのに、何かをもって知覚しなければならないからです1。これが知覚に交換や解釈が伴う理由2で、知識には要らないものです。知覚の解釈する機能は創造の歪曲した形で、これにより、あなたが誘導した葛藤から逃れようとして肉体を自分自身に解釈することを可能にします。

スピリットは知る存在ですが、このような力の喪失をどうしても受け入れることはできません。暗闇を受け入れることができないからです。このため、マインドにとってスピリットは近づくことが難しく、肉体にとってはまったく近づけなくなったのです。それ以来、スピリットは脅威として解釈されるようになります。なぜならば、光はただ暗闇がそこにないことを示すだけで、暗闇を抹消するからです。

このようにして、真実は常に誤りを克服します。能動的に修正するプロセスにはなりません。すでに強調しておいたように、知識は何もしないからです。知識は、攻撃するものとして知覚されることがありますが、知識には攻撃することができません。あなたが攻撃として知覚するのは、知識は常に思い出すことができ、いまだかつて破壊されたことがないことをおぼろげながら気づいていることの現れです。

1: “perceive something“の‘something’がイタリック体です。これは、(自分以外の)何かで、知覚には知覚する人と知覚される対象の2つがなければならないことを言っているのです。

2:  知覚するものと知覚されるものの2者が存在するとき、直接知ることはなく、必ず解釈が伴います。ここに歪曲が入り込む余地が生まれるのです。肉体を自分自身に解釈するという歪曲を可能にします。

 

God and His creations remain in surety, and therefore know that no miscreation exists. Truth cannot deal with errors that you want.

I was a man who remembered spirit and its knowledge. As a man I did not attempt to counteract error with knowledge, but to correct error from the bottom up. I demonstrated both the powerlessness of the body and the power of the mind.

By uniting my will with that of my Creator, I naturally remembered spirit and its real purpose. I cannot unite your will with God’s for you, but I can erase all misperceptions from your mind if you will bring it under my guidance. Only your misperceptions stand in your way. Without them your choice is certain.Sane perception induces sane choosing. I cannot choose for you, but I can help you make your own right choice.

“Many are called but few are chosen” should be, “All are called but few choose to listen.” Therefore, they do not choose right.The “chosen ones” are merely those who choose right sooner. Right minds can do this now, and they will find rest unto their souls. God knows you only in peace, and this is your reality.

神と神の創造は確実のままであり続け、ゆえに、誤った創造が存在しないことを知っています。真実はあなたが選ぶ誤りを扱うことはできません1

わたしは、スピリットとその知識を覚えていた人間でした。人間として、誤りに対し知識で対抗しようとはしませんでしたが、誤りを根本から正そうとしました。わたしは、肉体の無力さとマインドの力を実証しました。

わたしの意志を創造主の意志と一つに結合することで、スピリットとその本当の目的を自然に思い出しました。わたしは、あなたに代わって、あなたの意志を創造主の意志に結合させることはできませんが、あなたがわたしの指導下にマインドを置くことを選択するならば、あなたのマインドから誤った知覚を一掃することができます。邪魔をしているのはあなたの誤った知覚だけです。誤った知覚がなければ、あなたの選択は確かです。正気な知覚は正気な選択を誘発します。あなたに代わってわたしが選択することはできませんが、あなたが自分で正しく選択できるように助けてあげることはできます。

聖書の「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」という部分は、「すべての者が呼ばれたが、耳を傾けようとする者は少ない」とするべきです。したがって、彼らは正しく選択しません。「選ばれた者たち」は、正しい選択をいち早くしたというだけのことです。正しい状態のマインドは今これができます。そして、自分の魂に安らぎを見出すでしょう2神はあなたが平安にいることしか知りませんし、それこそがあなたの実際の姿なのです。

1:  “errors that you want”は「あなたがしたいと思う誤り」ですが、誤りを自主的にしたいとは思わないので意味が分かりにくい日本語になってしまいます。でも、奥底の心では望んでいる誤り、つまり自ら選ぶ誤りと解釈します。

2:  “unto their souls”‘unto’は古代ギリシャの語句で、‘to’と同じ意味です。

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