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Sunlight Forest Danmir12
3純真無垢な知覚

第3章II節 奇跡は正しい知覚

II. Miracles as True Perception

I have stated that the basic concepts referred to in this course are not matters of degree. Certain fundamental concepts cannot be understood in terms of opposites. It is impossible to conceive of light and darkness or everything and nothing as joint possibilities. They are all true or all false.

It is essential that you realize your thinking will be erratic until a firm commitment to one or the other is made. A firm commitment to darkness or nothingness, however, is impossible. No one has ever lived who has not experienced some light and some thing. No one, therefore, is able to deny truth totally, even if he thinks he can.

わたしは、「コース」で言及する基本的概念は度合いの問題でないことを前に述べました1ある根本的な概念は、対極的な見方で理解することはできません。光と暗闇、あるいは全てと無が共に存在する可能性として思い描くことは不可能です。それらは、両方とも真実であるか、両方とも虚偽であるかのどちらかです。

あなたは、どちらか一方に決めてそれを断固として貫く2までは、自分の思考が一貫していないことを認める必要があります。けれども、暗闇や無にずっとコミットし続けることは不可能でしょう。いまだかつて、いくらかの光や多少の存在を経験せずに生きた人はいません。したがって、たとえ自分はできると思っても、真実を完全に否定することは誰にもできないのです。

1:度合いの問題ではないというのは、光と暗闇が対極にあり、その間に光と影の占める度合いの組み合わせが何種類もあるのではないと言っているのです。少し陰った光というのは存在しない。光と暗闇は共存できません。

2:  “a firm commitment to one or the other is made”のところです。一方に決めたら、他方をきっぱり放さなければなりません。

 

Innocence is not a partial attribute. It is not real until it is total. The partly innocent are apt to be quite foolish at times. It is not until their innocence becomes a viewpoint with universal application that it becomes wisdom.

Innocent or true perception means that you never misperceive and always see truly. More simply, it means that you never see what does not exist, and always see what does.

純真無垢は部分的な属性ではありません。全体がそうでなければ本物ではありません3。部分的に純真無垢なマインドは、ときにまったく愚かになりがちです4純真無垢があらゆる状況で用いる視点となって始めて、智慧になるのです。

純真無垢、すなわち、正しい知覚というのは、決して誤った知覚をせず、常に真の姿のままに見ることです。もっと分かりやすく言えば、決して存在しないものを見ず、常に存在するものだけを見るということです。

3:  前の段落で度合いの問題ではないとありましたが、純真無垢にも適用されます。ほぼ純真無垢だけど、まだそうでない部分があるというのは本物ではないと。

4:  “The partly innocent”で’the’が付いているので、innocentなマインド(人)ですね。部分的に純真無垢なマインドは、自分にまだ欠点があると思っているので、それを他者に投影したり、存在しないものを見たりという愚かなことをする傾向にあるということです。

 

When you lack confidence in what someone will do, you are attesting to your belief that he is not in his right mind. This is hardly a miracle-based frame of reference. It also has the disastrous effect of denying the power of the miracle.

The miracle perceives everything as it is. If nothing but the truth exists, right-minded seeing cannot see anything but perfection. I have said that only what God creates or what you create with the same Will has any real existence. This, then, is all the innocent can see. They do not suffer from distorted perception.

誰かのしようとすることが信用できないとき、あなたは、その人が正気でないという自分の思いを裏付けているのです。これは、奇跡を基盤とした視点とは到底言えません。また、奇跡の力を否定する破滅的な影響をも及ぼします5

奇跡はすべてをありのまま知覚します。真実のほか何も存在しないならば、正しい状態のマインドは完全しか見ることができないでしょう。前にも述べたように、神の創造、または神と同じ意志であなたが創造したものだけが本当の存在と言えます。そうであれば、純真無垢なマインドが見ることができるのは、この創造だけです。歪曲した知覚で悩むことはありません。

5:  純真無垢なマインドは、相手の内なる完全さを見るのです。だから、相手がしようとすることを信用します。この内なる完全さを見ることができない、つまり、相手が正気でないと決めつけるとき、奇跡は起こりようがありません。だから破滅的な影響なのです。

 

You are afraid of God’s Will because you have used your own mind, which He created in the likeness of His Own, to miscreate. The mind can miscreate only when it believes it is not free. An “imprisoned” mind is not free because it is possessed, or held back, by itself. It is therefore limited, and the will is not free to assert itself.

To be one is to be of one mind or will. When the Will of the Sonship and the Father are one, their perfect accord is Heaven.

あなたは、神の意志を恐れています。それは、あなたが、神が神自身のマインドに似せて創造した自分のマインドを誤った創造のために用いたからです6マインドは、自由でないと信じるときだけ誤創造できます。「閉じ込められた」マインドは自分で勝手に取りつかれたり、抑え込んだりしているため、自由ではありません。したがって、マインドは制限され、その意志は自らを自由に主張しません7

一つになるとは、一つのマインド、つまり一つの意志になることです。神の子と父なる神の意志が一つになるとき、両者が完全に調和し天国を現します8

6:  神の意志を恐れるのは、自分の意志とは違うと思うからです。神の望まないことを自分がした(誤った創造)と思い恐れるのです。

7:  神の意志でないことをしてしまうかもしれないという恐れで、自らを束縛して自由を失い、大らかに自信を持って創造できないのです。

8:  神の意志と一つになるためにはどうすればよいでしょうか。それには、神の手に委ねることだと思います。「神の御心のままに」と祈るとき、恐れがなくなるのが分かります。こうして、自分の意志が神の意志と一つであることを知れば、恐れることなく自由に創造することができるということですね。

 

Nothing can prevail against a Son of God who commends his Spirit into the Hands of his Father. By doing this the mind awakens from its sleep and remembers its Creator. All sense of separation disappears.

The Son of God is part of the Holy Trinity, but the Trinity Itself is one. There is no confusion within Its Levels, because They are of one Mind and one Will. This single purpose creates perfect integration and establishes the peace of God. Yet this vision can be perceived only by the truly innocent.

Because their hearts are pure, the innocent defend true perception instead of defending themselves against it. Understanding the lesson of the Atonement they are without the wish to attack, and therefore they see truly. This is what the Bible means when it says, “When he shall appear (or be perceived) we shall be like him, for we shall see him as he is.”

神の子が父なる神に自分のスピリットを委ねるとき、何ものも神の子を克服することはできません。そのとき、マインドは眠りから目覚め、自分の創り主を思い出します。あらゆる分離の感覚が消滅します。

神の子は聖なる三位一体の一部ですが、三位一体そのものは一つです。レベル間の混乱はありません。なぜなら、それらは一つのマインドであり一つの意志だからです。この一つの目的が、完全な統合を創造し、神の平和を確立します。けれども、このビジョンは真に純真無垢なマインドしか知覚することができません。

純真無垢な人は、心が純粋なために、正しい知覚に対して自分を防御する代わりに、正しい知覚を防御します。贖罪のレッスンを理解し、攻撃する望みを持たず、したがって真実のままに見ます。これが、聖書にある「彼が現れるとき(または知覚されるとき)、わたしたちは彼に似るものになるでしょう。そのまことの御姿を見るからです」の意味なのです。

 

The way to correct distortions is to withdraw your faith in them and invest it only in what is true. You cannot make untruth true. If you are willing to accept what is true in everything you perceive, you let it be true for you.

Truth overcomes all error, and those who live in error and emptiness can never find lasting solace. If you perceive truly you are cancelling out misperceptions in yourself and in others simultaneously. Because you see them as they are, you offer them your acceptance of their truth so they can accept it for themselves. This is the healing that the miracle induces.

歪曲を修正する方法は、あなたが歪曲に注いだ信念を取り消し、それを真実であるものだけに向けることです9真実でないものを真実にすることはできません。知覚するすべてに真実のみを受け入れる気持ちになれば、それは自然にあなたにとって真実になります。

真実はすべての誤りを克服します。誤りと空虚の中に生きる人は、決して持続する慰めを見出すことはできません。正しく知覚をするとき、あなたは自分自身と他の人たちの誤った知覚を同時に取り消しています。あなたが彼らをありのままに見るため、彼らの真実を受け入れてあげることになり、そうすると、彼らも自分の真実を受け入れることができるのです。これが、奇跡が引き起こす癒しです。

9:  言い換えれば、他者を批判せず、真実の姿(純真無垢)を見るということです。

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