人生はいつでも変えられる!
1奇跡の意味

第1章V節 完全性とスピリット

V. Wholeness and Spirit

The miracle is much like the body in that both are learning aids for facilitating a state in which they become unnecessary. When spirit’s original state of direct communication is reached, neither the body nor the miracle serves any purpose.

While you believe you are in a body, however, you can choose between loveless and miraculous channels of expression.

You can make an empty shell, but you cannot express nothing at all. You can wait, delay, paralyze yourself, or reduce your creativity almost to nothing. But you cannot abolish it.

You can destroy your medium of communication, but not your potential. You did not create yourself.

奇跡は、それ自体が不必要になる状態まで持っていくための学習補助1であるという点で、肉体とよく似ています。スピリットが(神と)直接的なコミュニケーションをとる本来の状態に達するとき、肉体も奇跡も目的を果たしてそれ以上の役目がなくなります。

しかし、あなたが肉体に宿ると信じているあいだは、愛の欠如を表現するか奇跡を表現をするか、どちらかのチャネルを選択することができます。

抜け殻を作ることはできても、何も表現しないということはできません。待つことも、先送りにすることも、自分を麻痺させることも、あるいは創造力をほとんど無にまで押さえ込むこともできます。しかし、それを消滅させることはできません。

あなたは、コミュニケーションの媒体を壊すことはできますが、潜在する創造力を破壊することはできません。あなたは、自分を創造したのではないからです。

1.  奇跡があくまで学習の補助、つまり教えの道具であるということは原理16にありました

 

The basic decision of the miracle-minded is not to wait on time any longer than is necessary. Time can waste as well as be wasted. The miracle worker, therefore, accepts the time-control factor gladly. He recognizes that every collapse of time brings everyone closer to the ultimate release from time, in which the Son and the Father are One.

Equality does not imply equality now. When everyone recognizes that he has everything, individual contributions to the Sonship will no longer be necessary.

奇跡を行う準備のあるマインドにとって基本になる決意は、必要以上に時間を費やさないということです時間は浪費されることも無駄にされることもあります。そのために、奇跡の担い手は、喜んで時間制御の要因3を受け入れるのです。時間が崩壊するごとに、最終的にみんなが時間から解放され、神と神の子が一つになる状態に近づくのを知っているからです4

平等というのは、現在の平等を示唆しているのではありません。自分にはすべてが備わっているとみんなが認識するとき、神の子への個人的な貢献はもはや必要でなくなるでしょう。

2: 時間は必要だけれども、できるだけ短くしようという意識を持つことを勧めているのですね。そのためには、一瞬、一瞬を学びのときとして無駄にしないことです。これは原理15に通じるところです。

3: the time-control factor’は、その後にof the miracle’が省略されていると考えられるでしょう。「(奇跡の)時間制御的要因」とは、奇跡には時間を制御する要因があるということです。

4:  奇跡は時間を崩壊させるツールです。原理48で、奇跡のみが時間を制御するのに今すぐ使える道具であると言っているのと同じです。でも、すべての人が正しいマインドに戻ったとき、時間も奇跡も必要でなくなります。

 

When the Atonement has been completed, all talents will be shared by all the Sons of God. God is not partial. All his children have his total love, and all his gifts are freely given to everyone alike.

“Except ye become as little children” means that unless you fully recognize your complete dependence on God, you cannot know the real power of the Son in his true relationship with the Father.

The specialness of God’s Sons does not stem from exclusion but from inclusion. All my brothers are special. If they believe they are deprived of anything, their perception becomes distorted. When this occurs the whole family of God, or the Sonship, is impaired in its relationships.

贖罪が完了したとき、すべての才能は神の子全員で共有されるでしょう。神は部分的な与え方はしません5神の子はすべて、神の完全な愛を受け、神の贈り物はみな平等に全員に惜しみなく分け与えられます。

「幼な子のようにならなければ」というのは、神にまったく依存していることを十分に認めなければ、神との真の関係において、神の子の真の力を知ることができないという意味です6

神の子の特別性は、排他ではなく包括から生じます7わたしの兄弟はすべて特別です。もし何かが足りないと信じるなら、その知覚は歪んだものになります。これが起きるとき、神の全家族、すなわち神の子の関係は損なわれることになります8

5:  神の子はすべて平等ですが、イエスや仏陀のような悟りを得た人たちはわたしたちよりもずっと偉大に思われます。でも、これは一時的なことであるというのは原理8に出てきます。贖罪が完了すれば、すべての神の子が神の完全な愛を受け、神の贈り物を平等に与えられます。この物質界では、肉体という制限を課せられ、人によって持てる才能もまちまちですが、スピリットの世界では、みな平等で完全であり、全き才能と全き愛を受けているのです。

6:  わたしたちがパワフルになれるのは、神を通してそうなるのであって、神から離れては到底真のパワーを知ることはできません。

7:  ‘specialness’は、特別に異なっているという排他的な意味ではなく、みな同じように完全に愛されているという包括的な意味です。

8: family of God’というのは、子供を育てることについての次の原理から来ています。出版のときに省かれた部分です:

Children do not belong to parents, but they do need to share their greater abundance. If they are deprived, their perception becomes distorted.  When this occurs, the whole family of God…is impaired in its relationships.

子供は両親のものではないが、両親はより大きな富を子供たちと共有しなければならない。子供たちからそれを奪えば、彼らの知覚は歪んだものになる。これが起きるとき、神の全家族はその関係において損なわれる。

 

Ultimately, every member of the family of God must return. The miracle calls him to return because it blesses and honors him, even though he may be absent in spirit.

“God is not mocked” is not a warning but a reassurance. God would be mocked if any of his creations lacked holiness. The creation is whole, and the mark of wholeness is holiness.

Miracles are affirmations of Sonship, which is a state of completion and abundance.

最後には、神の家族はいずれも神の御元に戻らなければなりません奇跡は、神の子を祝福して称賛するので、たとえスピリットとして覚醒していなくても、神の元へ戻るように呼びかけます。

「神を欺くことはできない」というのは警告ではなく、安心させるためのものです10神の創造した神の子の一人でも神聖さを欠いているなら神は欺かれることでしょう。神の創造は完全であり、その完全さは神聖さに表れています。

奇跡は、完全で豊かである神の子の有り様を確認し肯定します。

9:  神は完全であり、神が創られたわたしたちはみな神の子で、神聖で完全です。だから、いずれみな、神の元(天国)に戻ることになるのです。

10: 新約聖書「ガラテヤ人への手紙」に出てくるGod is not mockedがここで出てきますが、聖書で使われているのと意味が違いますね。聖書の方では、「神を欺くことはできません。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」と、神の目を欺いて悪いことができないということを示唆し、裁きの神を連想させますが、ここでは、わたしたちの誰かが神聖さを欠いているなら神を欺くことになるでしょうと言っています。神が創造した中に神聖でない者がいて悪を働き地獄に落ちることはありません。だから、警告ではなくて安心させるものです。

 

Whatever is true is eternal, and cannot change or be changed. Spirit is therefore unalterable because it is already perfect, but the mind can elect what it chooses to serve. The only limit put on its choice is that it cannot serve two masters.

If it elects to do so, the mind can become the medium by which spirit creates along the line of its own creation. If it does not freely elect to do so, it retains its creative potential but places itself under tyrannous rather than Authoritative control. As a result it imprisons, because such are the dictates of tyrants.

To change your mind means to place it at the disposal of true Authority.

真実は何であれ永遠であり、変化したり変化させられたりすることができません。したがって、スピリットはすでに完全で変えることができませんが、マインドは自分が何に仕えるかを選択できます11。唯一の制約は、二人の主人に仕えることができないということです12

マインドがそう選択するなら、スピリットが自身の創造を行う媒体になることができます。マインドがそうしないことも自由で、その場合は潜在的創造力を持ち続けますが、権威ある管理の元ではなくて暴君の下に身を置いてしまいます。その結果、マインドは牢獄に閉じ込められます。それこそが暴君の命令だからです。

マインドを変えるというのは、真の権威者に身を委ねるということです13

11:  スピリットはすでに完全なので変わることはありません。その意味で、選択の自由はスピリットにあるのではなく、マインドにあります。

12:  「マタイ伝」に”No man can serve two masters”(人は二人の主人に兼ね仕えることはできない )という節があります。ここで、それがマインドのことだったのが分かります。

13:  真の権威者(true Authority)に仕えれば、マインドはその潜在する創造力を自由に発揮することができますが、暴君に仕えれば、その創造力は牢獄に封じ込められてしまいます。だから、真の権威者に仕えるのがよいのです。それが、マインドを変えるということです。

 

The miracle is a sign that the mind has chosen to be led by me in Christ’s service. The abundance of Christ is the natural result of choosing to follow him.

All shallow roots must be uprooted, because they are not deep enough to sustain you. The illusion that shallow roots can be deepened, and thus made to hold, is one of the distortions on which the reverse of the Golden Rule rests.

As these false underpinnings are given up, the equilibrium is temporarily experienced as unstable. However, nothing is less stable than an upside-down orientation. Nor can anything that holds it upside down be conducive to increased stability.

奇跡は、キリストの奉仕活動において、マインドがわたしに導かれることを選択した印です。キリストの豊かさは、キリストについていくことを選択したとき自然に得る結果です14

浅い根はすべて根こそぎにしなければなりません。それは、あなたを支えられるほど根が深くないからです。浅い根も深くすることができ、そして、あなたを支えるようにすることができるという幻想は、黄金律に反するものを基盤とする歪曲に他なりません15

こうした虚の土台を手放していくと、均衡が一時的に不安定になったように感じられます。しかし、上下が逆さまになった姿勢ほど不安定なものはありません。また、上下を逆さまに維持するものも、安定性の拡大に貢献することはできません。

14:  「コース」の示す理想的なマインドの状態が示されています。キリストに従い、奇跡の運動に参加することを選択することです。こうして、ミラクルワーカーになれば、その自然の結果として豊かさを得ます。

15: そのためには、完全なコミットが要求されます。浅い根は引き抜かれなければなりません。神以外のものから栄養を吸収し、安定を得ようとすることを放棄しなければなりません。

エゴや肉体を糧にして安定を得ようとするのが浅い根です。そして、この浅い根を深くすることができるという幻想に捉われます。こうして誤った妄想にとりつかれ、「己の欲する所を人に施せ」という黄金律とは反対の「己れの欲せざる所を人に施せ」というような歪曲をしてしまうのです。

分離したエゴや肉体から満足を得ようとすれば、必然的に他のエゴや肉体と競争することになります。他から奪い取り、与えないことが、エゴや肉体のサバイバルにつながるからです。こうして、自分がされたくないことを人にするという、上下がひっくり返った姿勢を取ります。

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