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1奇跡の意味

第1章II節  啓示/時間/奇跡

II. Revelation, Time and Miracles

Revelation induces complete but temporary suspension of doubt and fear. It reflects the original form of communication between God and his creations, involving the extremely personal sense of creation sometimes sought in physical relationships. Physical closeness cannot achieve it.

Miracles, however, are genuinely interpersonal, and result in true closeness to others. Revelation unites you directly with God. Miracles unite you directly with your brother.

Neither emanates from consciousness, but both are experienced there. Consciousness is the state that induces action, though it does not inspire it. You are free to believe what you choose, and what you do attests to what you believe.

啓示は、一時的に疑いと恐怖を完全に停止させます1それは神と神が創造した者の間のコミュニケーションの原型を反映し、時として肉体関係に求められる極めて個人的な創造の感覚を伴います。しかし、肉体的な親密さによっては得ることができません2

しかし、奇跡は、純粋に人と人との間のことで、他者との間に本当の親密さをもたらします。啓示は、あなたを神に直接結びつけます。奇跡は、あなたを兄弟に直接結びつけます3

どちらも意識から発生するのではありませんが、意識の上で経験されます4。意識は、行動を誘発する状態です。啓発はしませんが5

あなたが自分で選択するものを信じるのは自由ですし、その行動はあなたが信じているものの証になります6

1:  ‘revelation’(啓示)は原理28でも説明されていますが、一時的に疑いや恐怖が全く無くなる状態です。神とわたしたちの間のコミュニケーションの原型です。

2:  意味深な部分です。啓示の経験は、神とかなり個人的に接近する感覚を味わうようで、人間はこれを‘physical relationships’ (肉体関係)に求めようとします。でも、肉体関係では達成できません。啓示は純粋に愛の経験だからです。

3:  奇跡の方は純粋に人との間の関係にあり、結果として他の人と本当の意味で接近することになります。啓示は神に直接結合させ、奇跡はわたしたちの兄弟に直接結合させます。

4:  啓示も奇跡も’consciousness’(意識)から発生しないというのはどういうことでしょうか。意識は、顕在意識のことだと考えればよいと思います。奇跡は、意識下(潜在意識のレベル)で起こり、啓示は意識を超越したところ(超意識のレベル)で発生します。でもその経験(反応)は、意識に上るということです。それがつかの間のことであっても。

5:  ‘inspire’しなくても行動を起こさせるというのは反応のことです。

6:  人は潜在意識の深いところでは奇跡への衝動があります。でも、表面的な地上の衝動(こちらの方が意識レベルに近い)を満たし、それが自分だとする選択も自由です。 そうすると、意識下にある奇跡へのアクセスを否定する結果となり、人との関係も表面的なものでしかなくなって、奇跡に誘発された関係を持つことができなくなります。

 

Revelation is intensely personal and cannot be meaningfully translated. That is why any attempt to describe it in words is impossible. Revelation induces only experience.

Miracles, on the other hand, induce action. They are more useful now because of their interpersonal nature. In this phase of learning, working miracles is important because freedom from fear cannot be thrust upon you.

Revelation is literally unspeakable because it is an experience of unspeakable love.

啓示は極めて個人的なものなので、意味があるように言葉に置き換えることはできません。だから、それを説明しようとする試みはいずれも不可能です。啓示は経験を引き起こすだけです。

それに対して奇跡は、行動を誘発します。対人を扱う性質から、今の段階では奇跡の方が有用です。この学習段階では、恐怖からの解放をあなたに強いることはできないので、奇跡を行うことが重要です。

啓示は、表現不可能な愛の経験ですから、文字通り言葉にすることはできません。

 

Awe should be reserved for revelation, to which it is perfectly and correctly applicable. It is not appropriate for miracles because a state of awe is worshipful, implying that one of a lesser order stands before his Creator. You are a perfect creation, and should experience awe only in the Presence of the Creator of perfection.

The miracle is therefore a sign of love among equals. Equals should not be in awe of one another because awe implies inequality. It is therefore an inappropriate reaction to me.

An elder brother is entitled to respect for his greater experience, and obedience for his greater wisdom. He is also entitled to love because he is a brother, and to devotion if he is devoted. It is only my devotion that entitles me to yours.

There is nothing about me that you cannot attain. I have nothing that does not come from God. The difference between us now is that I have nothing else. This leaves me in a state which is only potential in you.

畏敬は啓示にとっておくべきで、啓示に畏敬の念を起こすのは、まったく正しく適切なことです。畏敬の状態は崇拝であり、創造主の前で劣等の立場を示唆するため、奇跡には適切でありません。あなたは完全に創造された者であり、畏敬は、完全な創造主の前でだけ経験すべきことです。

したがって、奇跡は、序列のない者のあいだに起こる愛のしるしです。同等の者たちは互いに畏敬を感じるべきではありません。畏敬は序列を示唆するからです。したがって、わたしに対して畏敬の念を起こすのは不適切です。

兄は豊かな経験のために尊敬され、知恵があるために従われて然るべきです。また、兄弟なので愛され、自らを捧げているなら慕われるのも当然でしょう。あなたから献身的愛を受ける資格があるのは、ひとえにわたしが献身的愛を捧げているためです。

わたしに出来てあなたに出来ないものは何もありません。わたしにあるのは、神から来たものだけです。あなたと違うことといえば、わたしには、その他には何もないということだけです。これによって、あなたの中の可能性でしかない状態に、わたしは留まっていられるのです。

 

 “No man cometh unto the Father but by me” does not mean that I am in any way separate or different from you except in time, and time does not really exist.

The statement is more meaningful in terms of a vertical rather than a horizontal axis. You stand below me and I stand below God. In the process of “rising up,” I am higher because without me the distance between God and man would be too great for you to encompass.

I bridge the distance as an elder brother to you on the one hand, and as a Son of God on the other. My devotion to my brothers has placed me in charge of the Sonship, which I render complete because I share it.

This may appear to contradict the statement “I and my Father are one,” but there are two parts to the statement in recognition that the Father is greater.

「わたしを通してでなければ、誰も父のみもとに来ることはできない」というのは、時間の経過を除いては、わたしが多少なりともあなたと別であるとか違っているということではありませんそれに時間は本当は無いものです。

ここのところは、水平方向の軸よりも垂直方向の軸で考えるともっと意味がはっきりします。あなたはわたしの下に、わたしは神の下にいます。「上に昇る」過程で、わたしがいなければ、神と人との間の距離が大きすぎて、あなたにはその隔たりを乗り越えることができません。だからわたしはあなたよりも上にいるのです。

わたしは、一方ではあなたの兄として、他方では神の子として、神との距離を橋渡しする役目をします。兄弟への献身的な愛情のために、わたしは、神の子の任務を任されています。わたしは、それを共有するので、完了させることができます。

これは、「わたしは父なる神と一つである」という発言と矛盾しているように見えるかもしれませんが、これには二つの部分があり、父なる神がより偉大であるという認識の上に立っているのです。

7:  「わたしを通してでなければ、誰も父のみもとに来ることはできない」という聖書の言葉は、もっとも誤解されている部分で、本段落では、本当の意味が説明されています。まず強調されているのは、イエスとわたしたちは同等だということです。違うのは、イエスの方が経験が豊かで、知恵もあるということ。そして、それは、「時間」によって、わたしたちにも到達可能です。

 

Revelations are indirectly inspired by me because I am close to the Holy Spirit, and alert to the revelation-readiness of my brothers. I can thus bring down to them more than they can draw down to themselves.

The Holy Spirit mediates higher to lower communication, keeping the direct channel from God to you open for revelation. Revelation is not reciprocal. It proceeds from God to you, but not from you to God.

啓示は、わたしによって間接的に引き起こされます。なぜなら、わたしは聖霊に近い存在であり、また兄弟たちが啓示を受ける準備ができているか常に注意しているからです8こうして、兄弟たちが自分だけで引き出せる9よりも多くのものをもたらすことができます。

聖霊は、啓示のための神からあなたへのダイレクトチャンネルを開いたままにして、高位から低位へのコミュニケーションを仲介します10啓示は相互交換ではありません。神からあなたへ流れますが、あなたから神へは流れません。

8:  ここで、イエスと聖霊の役割の違いが出てきます。イエスは聖霊に近い存在で、兄弟が啓示を受ける準備ができているかを常に注意し、啓示を間接的に助けます。この後の文で、聖霊は啓示を直接的に助けることが分かります。

9:  わたしたちは、啓示をある程度は自分でdraw down’(引き下ろす)ことができるのですが、より多く引き出せるようにイエスと聖霊という二つの助けを受けています。

10:  聖霊は、ダイレクトチャネルを開いたままにして、高位(神)から低位(幻想の世界に住む者)へ仲介をします。

 

The miracle minimizes the need for time.

In the longitudinal or horizontal plane the recognition of the equality of the members of the Sonship appears to involve almost endless time. However, the miracle entails a sudden shift from horizontal to vertical perception. This introduces an interval from which the giver and receiver both emerge farther along in time than they would otherwise have been.

The miracle thus has the unique property of abolishing time to the extent that it renders the interval of time it spans unnecessary. There is no relationship between the time a miracle takes and the time it covers. The miracle substitutes for learning that might have taken thousands of years. It does so by the underlying recognition of perfect equality of giver and receiver on which the miracle rests.

The miracle shortens time by collapsing it, thus eliminating certain intervals within it. It does this, however, within the larger temporal sequence.

奇跡は時間の必要を最小限にします11

緯度や経度で現される世界では、みなが平等な神の子のメンバーであるという認識を持つのに、永遠にも等しい時間がかかるように思われます。けれども、奇跡は、水平知覚から垂直知覚への急激なシフトを引き起こします12これにより、時間軸上で、奇跡を与える者と受け取る者の両者を、奇跡によるシフトがないときよりもずっと先に出現させるような時間の隔たりを導入します。

このように、奇跡には、不必要に広がる時間の隔たりを塗りつぶす範囲まで、時間を消滅させる特性があります。奇跡が起こる時間と奇跡が及ぼす時間の間には何の関係もありません。奇跡は、そうでなければ何千年もかかったかもしれないレッスンの代わりをします。奇跡は、与える者と受け取る者が完全に同等であることを明確にしてそれを為すのです13

奇跡は、時間を崩して短縮し、間にあった時間の隔たりを取り除きます。それは、より大きな時間的連続の中で起きます。

11:  本段落は原理47と通じています。

12:  らせん状に行きつ戻りつ移動して永遠にも等しい時間かかっていた(転生を繰り返すことが暗示されています)のが、奇跡を実践すると、垂直に移動するので一気に到達できるという意味です。

13:  奇跡では、行う(与える)人も受け取る人も同じ神の子で同等であると認めます。だから、互いに離れているという分離の感覚が解消されて本来の一つに戻り、ビデオの早送りのように時間を飛び越えることができます。

 

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